本の紹介

シランフーナーの暴力

著者は1966年沖縄生まれ。今までにない切り口で衝撃を受ける。さまざまな見方もあるがこの人の取り組み、活動の仕方はおもしろい。
本の中から、「沖縄への一方的基地負担を止め、安保を破棄。できないのならば日本全体で平等に。つまり、米軍基地をもっと本土(日本)へ持っていく。」「安保条約を成立させている以上負うべき自分たちの恥(注、外国の軍隊が置かれ、占領されているということ)を沖縄人に押しつけ、沖縄の恥としてあとはシランフーナー(しらんふり)」
彼女の言葉は本土(日本)の私にするどく突き刺さる。

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日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

基地問題は「統治行為論」、原発は「裁量行為論」、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」によって憲法の及ばないところとなってしまったという。その陰にはアメリカとの密約あり。民主主義と独立国家を問う内容となっている。

これにタバコ問題を加えればこの国の3悪が揃うことになる。
P1040005

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イワンの馬鹿

学生時代に読んだトルストイの作品はいくつかあるがこれはまだ読んだことがなかった。最近、北御門二郎さんの翻訳による「イワンの馬鹿」と「文読む月日」を購入。この年になってまたトルストイに帰って来た。
「イワンの馬鹿」は百姓のイワンと、軍人のセミヨンと、ほてい腹のタラスの兄弟の物語だ。最終的にはみんなイワンに頼らざなくなる。土とともに生きるイワンは来るものを拒まないが、ただ一つ、イワンの国には習慣がある。「手にたこのある者は食卓についていいが、たこのない者は、人の食べ残しを食べねばならない」ということ。

P1030862

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葭の渚

石牟礼道子の半生を綴っている。今年になってから彼女の本をいくつか読んでいるが、言葉の重さを感じている。この本では、古き良き水俣の日々が描かれ、水俣病との出合いまでを描いている。

この最後の言葉も重くのしかかる。
「私たちは、誰かとの縁(えみし)があって一日一日を生きている。喜びも悲しみも、誰かとの縁との間で生まれる。(中略)
国が決めた水俣病の公式発見から数えると、今年(2013年)で57年だとか、公式化されない見えない年月はどこへ行ってしまったのか。何が57年か。解決はいまだに見えない。一番合理的で計算高かったのは、加害者の方だった。一番重大な被害の状況を正確に把握していたにもかかわらず、チッソは次々と新しい技術を生み出し、確実に製品化していった。その陰に生きた人柱は一体どのくらいおられるのか。
近代合理主義という言葉があるが、そういう言葉で人間を大量にゆるゆると殺されてはたまらない。こういうことが許されていけば、次の世代へ行くほどに、人柱は「合理化」という言葉で美化されていくだろう。」
P1030509

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「沖縄シマ豆腐」物語

この本は単なる「シマ豆腐」の話ではない。幅広い食文化論となっている。豆腐が中国に始まり、東アジア各国に広がっていること。そして、琉球では独自の発展をし、養豚と結びついていることを明らかにしている。また、琉球がさまざまな物資の交易基地として大きな役割を担ってきたという視点もいい。

最後に次のように締めくくっている。
「沖縄のシマ豆腐は、アジアにおける民際交流の賜物であった。そして、長い歴史の中で沖縄の民衆がつくりあげてきた知恵の結晶でもあった。(中略)
今日もまた、夜も明けぬうちから、シマ豆腐づくりに精を出す人たちがいる。湯気の向こうには、黙々と作業に打ち込む姿が見える。きめ細やかな仕事の一つ一つは、アジアで古来伝えられてきた技術の数々を集積している。そして、彼らの躍動には、古琉球以来、シマ豆腐にかかわった数えきれない人間の営みが刻まれているのである。」
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大企業犯罪を考える・・・「辛酸」

P1030394東電原発事故後、過去の公害と呼ばれた大企業犯罪を振り返っている。その始まりの一つである足尾銅山鉱毒事件。立松和平の「毒」とともに城山三郎の「辛酸」を読む。

鉱毒に冒された谷中村の再生に一生をささげた田中正造が好きな言葉に「辛酸入佳境」がある。その言葉の意味を宗三郎に語らせている。「辛酸を神の恩寵と見、それに耐えることに喜びを感じたのか。それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。あるいは、自他ともに破滅に巻き込むことに、破壊を好む人間の底深い欲望の満足があるというのだろうか。」

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「人類哲学序説」 梅原猛著

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久しぶりにおもしろい本に出会った。
梅原猛氏の「人類哲学序説」。デカルト、カント、ニーチェなどの偉大な哲学者も登場する。
この国には、「草木国土悉皆成仏」という思想がある。西欧近代文明がもたらした科学技術文明の極致である原発事故。私たちは今暮らしのあり方を立ち止まって見直し、森の思想としての「草木国土悉皆成仏」へと向かう必要があるのではなのか。

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「カラマーゾフの兄弟」亀山版

 2012年の個人的な目標は「映画評の表現力アップのため古典に親しむ。」で具体的には1、日本の古典と言えば「源氏物語」
2、名訳とうわさの亀山版「カラマーゾフの兄弟」
の2冊を読破する、でした。なぜその2冊かと言えば古典と言えば日本が誇る最古の小説「源氏物語」、そして「カラマーゾフの兄弟」はどんなにおもしろい訳なのか知りたいという単なるミーハー的興味からです。
 「源氏物語」は田辺聖子さんの「私本 源氏物語」をあっさりと1月に読んでしまいました。元が名作だと誰がどんなにいじってもおもしろいのですね。そしていよいよ「カラマーゾフの兄弟」です。こちらは著者のドストエフスキーのスタイルなのか描写がやたら微にいり細に入りで、そこを楽しむことが作品の面白さでもあるのですが、読み通せない原因にもなっているでしょう。今回この亀山版では名訳のおかげか巻1を難なく読み終え、巻2,3,4そしてエピローグまで一気に読破できました。
 エピローグで末の弟が言う言葉の中で名言と出会いました。この言葉(ぜひ読んでください)を味わうためにこれまでの巻1から巻4があったのだと思えるほどでした。貧しさと病で苦しみながらも小説を書き続けた作者の思いが伝わってきました。もっとみんなが気軽に読めるよう「カラマーゾフの兄弟」も田辺聖子さんには時間や場所を大胆に変えていただき、兄弟の名前もわかりやすく「一郎次郎三郎」にして「超訳本」を書いてもらうともっと親しみやすくなるのになあとも思いました。
 ところで、文章力アップには読むこともだいじですがやっぱり書くことの方が効果的ですね。というわけでいい映画の評は特別800字でまとめることを今年の目標に加えました。お暇な方はそちらも読んでくださいね。(き)

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3.11後を生きる(週刊金曜日から)

週刊金曜日9/2号で医師の肥田舜太郎(1917年生)さんは語っている。「確かに、福島の人たちは、広島・長崎の人がたどったような厳しい道を生きる可能性があります。しかし、一方では、広島・長崎の被爆者でも、今日まで生きている人もいます。生存者の平均年齢は77歳と言われています。だから、後は、被曝の影響で発病しないように、健康に注意するしかない。「早寝早起き」「食事は三度三度」「ご飯は30回以上噛んで食べる」「排便は毎日行く」などなど、平凡なようですが、食べる、排泄する、寝る、仕事をする、遊ぶ、セックスするという、人間の生きる基本をちゃんとやるように心がけること。それが一番大切だと思っています。」

内部被曝にも詳しい肥田氏の言葉は重い。もう被曝は避けられない以上、彼が言うとおり生きる基本に忠実でありたいと思う。

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「日本の原発、どこで間違えたのか」内橋克人著

「『自然災害』に加えて『人災』が追い打ちをかけている。地震、津波、そして原発事故に打たれた『原発避難者』たちは、はるかな距離を集団疎開の旅に追い立てられている。

福島第一原子力発電所に発生した原発事故は、過去、私たちの国と社会が特定の意図をもつ『政治意思』によって常に〝焼結〟されてきた歴史を示す象徴である。人びとの魂に根づく平衡感覚、鋭敏な危険察知能力、生あるものに必須の畏怖心、それらのすべてを焼き固め、鋳型のなかにねじ伏せて突進しようとした剥き出しの権力の姿に違いない。」

この本は、著者が30年ほど前に「原発への警鐘」と題して出版した本に今回の原発事故を受けて書き足したものです。上記の一文はその序に書かれているものです。

今読んでも内容は全く古くなく、その警鐘は現実となってしまった。その中で2点ほど紹介します。

・トーマス・F・マンクーゾ(医学博士、一定の環境の中で化学薬品がひきおこす長期的な影響についての研究では、全米の第一人者という評価を得ている。):「原子力産業というのはクリーンでも安全でもありません。殺人産業といってもいいでしょう。ゆっくりと徐々に身体をむしばんでゆきます。ガンや他の突然変異的な病気を招くわけです。」「1944~72年に至る29年間に、ハンフォード原子力施設(ワシントン州リッチランドにある原子力兵器製造施設)で働いた労働者2万4939名のうち、調査時点での死亡者3520名。そのうち白血病を含むガンによる死者670名。被曝現場で働く労働者のガンによる死亡率は、全米白人の平均ガン死亡率より6パーセント以上も高かった。」

・放射線被ばくについて、市川定夫(埼玉大):「自然放射能(線)と人工放射能(線)はまったく違うんです。原子炉の中などでできる放射能は、自然界にはない放射能でして、生物の体内にとり込まれてからの挙動がまったく違っているんです。たとえば自然放射能には生物の体内、人体内に蓄積していくようなものはまったくない。ところが、人工的につくり出された放射能には、生体内、人体内に異様に高く濃縮されて蓄積されていくものがある。というのもその一つです。」

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