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葭の渚

石牟礼道子の半生を綴っている。今年になってから彼女の本をいくつか読んでいるが、言葉の重さを感じている。この本では、古き良き水俣の日々が描かれ、水俣病との出合いまでを描いている。

この最後の言葉も重くのしかかる。
「私たちは、誰かとの縁(えみし)があって一日一日を生きている。喜びも悲しみも、誰かとの縁との間で生まれる。(中略)
国が決めた水俣病の公式発見から数えると、今年(2013年)で57年だとか、公式化されない見えない年月はどこへ行ってしまったのか。何が57年か。解決はいまだに見えない。一番合理的で計算高かったのは、加害者の方だった。一番重大な被害の状況を正確に把握していたにもかかわらず、チッソは次々と新しい技術を生み出し、確実に製品化していった。その陰に生きた人柱は一体どのくらいおられるのか。
近代合理主義という言葉があるが、そういう言葉で人間を大量にゆるゆると殺されてはたまらない。こういうことが許されていけば、次の世代へ行くほどに、人柱は「合理化」という言葉で美化されていくだろう。」
P1030509

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